秋芳洞 について

秋芳洞の歴史
秋芳洞は、秋吉台の南側のふもとにある広谷ポリエの奥に、ぽっかりと口をあけた日本屈指の大鍾乳洞です。古くから地元の人々に瀧穴と呼ばれ、知られていました。明治40年頃より、イギリス人のエドワード・ガントレット氏により洞内の探検や調査がおこなわれ、初めて海外に紹介されました。瀧穴は大正11年3月には国の天然記念物に指定され、今まで大切にまもられてきました。また、大正15年5月、昭和天皇行幸の際ご覧になり、「秋芳洞(あきよしどう)」という新しい名前を賜りました。
秋芳洞をのぞいてみよう
秋芳洞は、入口の高さが20m、幅が8mで、洞くつの長さは8,700mあります。洞くつ内に入ると幅40m、天井の高さが15mぐらいで、見学できる長さは約1,000mつづく巨大鍾乳洞です。洞くつの奥は、本洞と支洞との2つに分れ、支洞は観光洞で、本洞の奥は水没しており、そこから先は3,500mほど潜水調査されています。秋芳洞内には、鍾乳石や石筍、石灰華などがたくさん見られます。秋芳洞内でゆっくり観察したい場所
- 青天井
- 百枚皿
- 広庭(洞内富士)
- 千町田
- 傘づくし
- 千畳敷
- 黄金柱
- 巌窟王
- くらげの滝のぼり
- 竜の抜け穴
- 五月雨御殿
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石灰華段丘(百枚皿) | 石柱(洞内富士) | ||
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鍾乳石(傘づくし) | 石筍(巌窟王) | 石灰華柱(黄金柱) |

秋芳洞はどうしてできた?
雨水は、地上に落ちる途中で空気中の炭酸ガスをふくみ、秋吉台上に降ります。台上に降った雨は、地殻変動などで石灰岩にできた多くの割目にそいながら地下にしみこんでいきます。この時、雨水にふくまれているわずかな酸により、石灰岩の割目は少しずつとかされて水路となり、しだいに大きくなります。また地下水は小石や砂などを流し、地下水位がさがるにしたがって洞くつは下へ下へととかされたり、浸食され、大きな空洞となっていきます。洞くつがしだいに大きくなると天井や壁がくずれ落ちて、さらに大きな洞くつになります。大きな空洞ができて、さらに地下水位がさがると、洞くつの発達が止まり天井や壁・床面に鍾乳石や石筍、石灰華などの二次生成物ができはじめます。

秋芳洞の誕生
鍾乳洞が雨水や地下水などの影響によってできることがわかったと思いますが、秋芳洞もおなじようにしてできた洞くつです。それでは、秋芳洞が鍾乳洞として誕生したのはいったいいつ頃のことだったのでしょう。秋芳洞の年令を、鍾乳石や石筍を使って科学的に調べてみると、今から数十万年前という気の遠くなるような昔にできたことがわかりました。
秋芳洞は数十万年のあいだ地下水により、少しずつとかされ、またけずられて、現在のような巨大な鍾乳洞になったのです。
秋吉台で発見された洞くつ

秋吉台にある洞くつの大きさをいろいろ比べてみましょう。
秋吉台で長い洞くつ(ベスト5)
- 秋芳洞(8,790m)
- 鷹ヶ穴(4,532m)
- 景清洞(1,745m)
- 寺山の穴(1,533m)
- 大正洞(1,000m)
秋吉台で深いたて穴(ベスト5)
- 入見穴見戸の穴(-204m)
- 鷹ヶ穴(-164m)
- 岩永台P4の穴(-146m)
- 西山の竪穴(-145m)
- 風穴(-137m)